人間が創った神は人間の意識の下層にある事象なので語れるが、本当の神は人間の意識の上位にあるので絶対に語れない。
人間の精神の場合は語り手が精神そのものなので、たとえば「A 自分が今日の昼飯何にしよう..」.と「B 考えているのを自分自身で認知」しても、その認知はAを認知しているのか、それともBだけを認知しているのかは自分自身では分からない。
宗教のことは浅学ゆえこれ以上の言及を避ける。
デカルトの言葉は存在を説明するには適当だがそれ以上ではない。精神事象を語る上では観察者が必要だと思う。
精神病理学的な例
わたしが「A・今日の昼飯何にしよう..」.と「B・考えているのをわたしが認知」しても、その認知はAを認知しているのか、それともBだけを認知しているのかはわたしには分からないのよね。
脳科学的な例
ご存知の通り(関係各位にジャンピング土下座)xiuwenさんは気狂いですけど、ロボトミーとかされたらこのコラムを書く上でちょっと困るからカフェイン飲んで頑張る(ちなみにコーヒーだってカフェインが500mg入ってれば薬事法に引っかかって劇薬扱い)。
80年代あたりのB級小説で「アドレナリンがドクドク湧く」とか「脳内麻薬が分泌される」とかよく出る表現だけど、アドレナリンもβ-エンドルフィンもカフェインも全ての向精神薬もシナプス間隙でどーたらこーたら作用するものでる。
で、だ。
「自分の精神」を「認知する自分の精神」が駄目になったイカレポンチさんはサードパーティに手伝ってもらわないといけない。といってもフロイトのように対象者を援助者の中に包含するのは厭だ。どちらの精神もフィクション、全部夢オチ、アンタの世界も全部妄想かもよ、だから何か厭だ。フィクションをフィクションで語る以上、正誤ではなく物語の。
