「掛けてくれ」ウイユはデスクをはさんでヒューラーの前に座った。いまやヒューラーはネクタイもはずし、カティサークをフラスコから飲んでいる。ウイユは酒を勧められたが断った。ヒューラーは煙草を取り出す。
「ご苦労だった。これで公安庁とラガのパワーバランスが均衡化したな。やれやれ、やや乱暴だが結果論として、まあうまくいったといえよう。戦争が長引けば長引くほど儲かる仕事というのはそうそうあったものではない」ヒューラーが咥えたデスにウイユは身を伸ばしてサロメのライターで火を点ける。
「増税しようがなんだろうが、こればかりはやめられなくてね」と鼻孔から満足げに煙を吹いた。「ラガを潰すのは惜しい。対抗勢力がそうなっては予算が下りなくなるからな」
「(それまでずっと俯いていたウイユは顔を上げる)それは……いくら予算が少ないとはいえ血税を……国民は今にも大爆発します。それ以前に、この政権のままだと軍事クーデタが起こりかねません。それなのにわたしは、予算のためだけに……(ウイユは俯いて額に手を当てた)」
「君を見込んでの仕事だったんだ。君こそのマリアを排斥するために重婚させたんじゃないかね? ふん、おめでとう。これで首がつながったな。ラガ対策の全権を握っている君にはポワソンリーも頭も上がらんだろうよ。さぞかし愉快だろうと思ったのだが?」
「しばらく休暇をとりたいと思います。全権をポワソンリーに委譲してください」ウイユは俯いたまま言った。
「まあ、いいだろう」
ウイユは一礼して部屋を出た。
ドアを開けるとマリアが立っていた。「聞いていたの」とウイユは悲しそうな声で言う。
「仕方ないといえば仕方ないわね。もういいわ」とマリアが言う。
「さぞかし憎いでしょうね、保身のためにあなたを使ったんだから。全部私が悪いの。あなたにはどう謝っても謝りきれないわ」
「ばかねえ。ひとりで悪役を引き受けるつもり? あんたは私の妹じゃない、アン(マリアは本名で呼んだ)。しょうがないのよ。公安庁はあんたに汚れ役を全部押し付けたんだわ。悪いのは庁よ。いや、だれが悪いとかじゃない、とにかく、このくそったれな時代が悪いのよ。悪い時代に生まれたのが運の尽きなのよ」
「もういいの」マリアの言葉を最後まで聞かずにウイユはトイレに駆け込んだ。
便器に顔をうずめ吐く。コールタールのような吐瀉物だった(赤血球のヘモグロビンと胃の中の塩酸が結合した塩酸ヘマチンの色だ)。
トイレを出るとマリアは消えていた。
吐いて少し気分転換になったところでウイユはゴロワーズを吸った。
(その後、ウイユはマリアが私宅軟禁されていると風のうわさに聞いた。ウイユはその日一日酒を飲み続けた)
ウイユはアパルトマンへ帰り、寝巻きに着替えると泥のように眠った。目覚めることのないかのような、死人のような寝顔だった。

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